日本庭園
山門は、1995年に津村重舎氏によって寄贈され、阿弥陀仏が医王であったことにちなんで「医王門」と名づけられました。山門をくぐると、左手には参拝者が身を清める水屋があり、浄土庭園が広がっています。
平安時代後期、貴族の間には浄土教が広まり、現世に極楽浄土を表現する庭園(浄土庭園)が生まれ、庭園と宗教が深い結びつきを示しました。初めから浄土庭園を備えた寺院を建立することもあったが、 貴族が自分の別荘を寺院として寄進することも盛んでした。このため浄土庭園の基本的な骨格は寝殿造庭園と共通し、殿堂の南に橋の架かった池(南池)が広がり、池には島(中島)が、池の傍らや背後に樹木を茂らせた小高い土の山(築山)や大きな岩石を組み合わせた石組みがあり、池に向かっては清流(遣水)が流れ込み、建物の周囲や遣水の流れに沿って樹木・草花(前栽)が植えられます。
惠光センターの庭園では、石庭の趣も取り入れられ、 遣水や池などの水辺の一部は石によってあらわされています。山門の正面に位置する太子堂には、2002年に長岡和慶氏によって寄贈された聖徳太子孝養像が祀られています。これは、日本に仏教興隆の礎を築いた聖徳太子が 父君・用明天皇の病気平癒を祈願した姿で、袍を着、その上に袈裟をつけ、右手に笏、左手に柄香炉を携えていることから真俗二諦像とも呼ばれ、在家仏教の道を開いた太子の尊像として篤く敬われています。
センターの建造物のなかで特に目を引くのは、やはり本堂でしょう。この本堂は、宇都宮にある惠光寺に倣って、日本の浄土真宗寺院のほとんどの本堂と同様に伝統的様式を示しています。 本堂横の鐘楼では、大晦日の晩、参拝者たちによって除夜の鐘が百八つならされます。本堂西側には「倶会一処」と書かれた石碑がたつ半地下の納骨堂があります。