仏教について

日本文化の歴史における仏教の役割はきわめて大きく、仏教のさまざまな宗派とその教義が、日本文化の多様性に本質的な貢献を果たしています。
日本における仏教の歴史には、奈良仏教、平安仏教(9-11世紀、最澄、空海)、鎌倉仏教(12-13世紀、親鸞、道元、日蓮など)という大きな山並みがあります。奈良仏教が壮麗な寺院建築と仏像の芸術を残し、平安仏教は深い仏教思想を展開し、香り高い文学・詩歌の世界を生み、これらを受けた鎌倉仏教は浄土信仰、禅、日蓮宗という形で、仏教をはじめて民衆のあいだにも根付かせ、現在にまで躍動する活力を培ったといえます。
このうちヨーロッパでは禅宗が一番よく知られているが、日本では浄土真宗をはじめとする浄土系の宗派が、最も広く親しまれた宗教です。この教えにおける礼拝、帰依の中心は阿弥陀仏であり、この仏の救いを信じて念仏することが、唯一真実の行とされています。
歴史的な仏陀、釈迦牟尼仏(紀元前5世紀ころ)の教えは、私たち人間が厳しい修行によって段階的に自己執着を離れ、苦しみを生む欲望から自由になり、悟りを得て仏と同じ涅槃の境地に至るべきことを説いています。中国から日本に伝わり広まった大乗仏教にとっては、この人間解放の道程で、菩薩という仲介者の役割が重要になってきます。菩薩とは、すでに最高の悟りに至りながらも、ひとり涅槃に安らおうとはせず、他の一切衆生の救いのために、無限に働くことを誓った方のことです。
浄土真宗の基本経典『浄土三部経』には、久遠の昔、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩であったころ弘大な願を立て、すべての衆生を自らの仏土に救い取ることができるまで、仏にはならない、と誓ったことが述べられています。「人がもし、私の誓願を信じてわが名を念ずれば、一人残らず浄土に往生できるように」と、菩薩は誓います。この法蔵菩薩が、今はすでに阿弥陀仏として西方浄土にいるので、衆生済度の筋道はすでに完成され、そして私たちは、この阿弥陀仏の願力に乗じて、間違いなく救われるのだと、信じることができます。
阿弥陀如来の誓願を信じ、「南無阿弥陀仏」と称えるとき、その念仏は救いを求める叫びであるよりも、すでに仏の腕に抱かれている感謝の声になります。念仏を通して私たちは、現実の世界から逃避するのではなく、むしろそこにしっかりと根を張り、日々新たな勇気と感謝と慈しみの心をもって生きることができるのです。
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『とってもやさしい はじめての仏教』
『GUIDE TO BUDDHISM IN JAPAN』
はじめての方でも仏教の概要が分かる入門冊子が電子版で公開されています。英語の冊子では、お寺や神社でのお参りの仕方、仏像の見方、日本文化と仏教の関係などをわかりやすく解説しています。